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福岡高等裁判所 平成5年(う)226号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官の職務を行う弁護士(以下、「検察官」という。)徳永賢一及び同川副正敏が連名で提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人佐藤至、同古賀和孝及び同石橋英之が連名で提出した答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、「原判決は、『昭和五九年四月二〇日午後六時一五分ころ、福岡県久留米市小頭町の路上において、警察官である被告人が、タクシーの運転席に乗車中の甲を公務執行妨害等の現行犯人として逮捕する職務行為を行うにあたり、同人に対し、その右上腕部に所携のけん銃を一回発射して、右上腕部を貫通して左胸部に至る盲管射創の傷害を負わせ、その結果、同人を外傷性出血により死亡させた。』という、本件公訴事実の外形的事実を認定しながら、被告人の右けん銃発砲行為(以下、「本件発砲」という。)の現場に至るまでの経緯並びにその現場における甲の抵抗状況、けん銃発射の際の被告人と甲の姿勢ないし位置関係及び本件発砲状況等について、ほぼ被告人の弁解するとおりの事実を認定したうえで、被告人の右行為は、警察官職務執行法(以下、「警職法」という。)七条の要件を充足する正当な職務行為として、刑法三五条により違法性が阻却されるとして、被告人に無罪を言い渡したが、原判決は、被告人の甲に対するけん銃発砲状況等に関する証拠の評価を誤った結果、事実を誤認し、ひいては、警職法七条の解釈、適用を誤った違法があり、これらが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。」というのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して、順次検討を加える。

第一  事実誤認の論旨について

一  特殊警棒による応戦の有無について

原判決は、本件発砲現場において、発砲に先立って旭タクシー一〇六号車(以下、「六号車」という。)の運転席に座ってその窓越しに、刃体の長さ約一二・六センチメートルの切り出しナイフ(以下、「ナイフ」という。)を突き出す等して抵抗していた甲に対し、被告人が甲の捜索等に出動した際に携帯していた特殊警棒を振るって応戦した事実の有無について、結論において、「被告人が特殊警棒で応戦しなかったのではないかとの疑問は残るが、他方被告人がまず特殊警棒で甲と応戦したとの被告人の供述の信用性を突き崩すに足りるだけの証拠は十分といえず、結局被告人の供述どおり、発砲前に被告人は特殊警棒で甲と応戦したと認定する。」としている。

所論は、本件発砲現場付近において、被告人の行動を目撃していた、原審証人A及び同Bの供述は具体的で信用できるのに、これを排斥して被告人の供述に全面的に依拠した原判決には、判決に影響を及ぼす事実の誤認があるというのである。

そこで、所論にかんがみ検討を加える。

Aは、旭タクシー一〇二号車(以下「二号車」という。)を運転し、被告人を本件発砲現場まで乗せて行った者であるが、原審において、「被告人が発砲するまでの間に、棒状の物を右手に持っているのを見た記憶はない。被告人が右腕を肩の位置くらいまで上げてそれを振り下ろすといった動作を見たことはあまりないが、ドアに寄ったり離れたりしているのは見た。被告人が六号車運転席の中に手を伸ばしていることはあった。」旨供述し、さらに、「発砲後に、中央病院から出てきた女性客を六ツ門バス停まで乗車させたが、その際、助手席に先が細くなって何かビニールで巻いたような、長さ五〇センチメートル位の釣りざおのようなものがあるのに気付いたが、自分の横に乗ったのは被告人しかいないので、被告人の忘れ物だと思った。」と供述している。

また、Bは、六号車の左斜め前方約三三メートルの高尾商会前の地点から被告人が同車に駆け寄って発砲するまでの状況を目撃した者であるが、原審において、「二号車から降りてきた被告人が六号車に駆け寄って窓を叩くので、最初はなにか連絡があるのかと思ったが、そのうち、被告人が手にけん銃を持っているのに気付いた。被告人がけん銃以外の物を持っているのは見たことがない。被告人の右手は、けん銃を持っている状態で、甲の右手が窓から出たり入ったりするのに応じて曲がったり伸びたりしていたが、被告人が物をたたき落とすような動きをしたところは見ていないと思う。」と供述している。

これに対し、被告人は、一貫して、二号車から特殊警棒を持って下車し、まず特殊警棒で甲に応戦した旨供述している。

原判決は、被告人が六号車に駆け寄ってから発砲するまでの時間が一分半から二、三分程度とある程度時間的経過があったこと、その間被告人は六号車ドアに近寄ったり離れたりしており、甲の右手が窓から出たり入ったりしていたことを肯認したうえで、このような被告人の動作及び甲のそれまでの行動に照らすと、甲が被告人に対しナイフを持った右手を窓から出し入れして渡り合っていたものと認められ、そうすると、被告人がこの間けん銃で渡り合ったと考えるのは不自然であり、特殊警棒で応戦したと解するのが合理的かつ自然であると結論付けている。

しかしながら、原判決の右認定は是認することができない。

すなわち、被告人が甲と渡り合っていた時間は最大限でも三分程度であり、けん銃のみで応戦していたとしても必ずしも不自然とはいえないこと、A及びBは、本件まで被告人とも甲とも全く面識がなく、なんらの利害関係も窺えないうえ、本件のような極めて特異な状況を目撃した者としては記憶が鮮明に残るものと解されるから、その信用性は高いというべきであるところ、同人らは、被告人が特殊警棒で応戦するのを全く目撃していないこと、Aの供述するところの二号車にあった棒状のものが、その形状や残留された状況などを考慮すると、特殊警棒であったと見るのが自然であることなどを併せ考慮すると、被告人が特殊警棒で応戦しなかったことは優に認められ、この点において、原判決には事実の誤認があるというべきである。

このように、原判決は、特殊警棒で応戦した点の有無につき事実を誤認しているが、特殊警棒での応戦の有無は、要するに、被告人の本件発砲の相当性判断の一資料にすぎず、被告人がまず特殊警棒で応戦しなければ、直ちに本件発砲が違法となるものではないところ、被告人の特殊警棒は重量約二八〇グラム、伸ばした長さ約四〇・五センチメートルの金属性の棒であり、堅いものにあたると縮んでしまうこともあり、甲がそれまで何回も警察官の制圧を振り切っていることや、本件発砲現場での抵抗状況からみても、被告人が特殊警棒を使用しても甲を容易に制圧、逮捕できたとは考えられず、本件発砲の相当性を判断するにあたって重視すべきでないから、右の点は判決に影響を及ぼすものではない。

二  本件発砲時における甲の姿勢、動き及び被告人との位置関係について

原判決は、発砲直前の状況について、「被告人は、三〇センチメートル位の距離から被告人の胸元に突き出された甲の右腕の肘関節部分に狙いを付け、銃口の延長線を運転席床に向けて弾丸一発を発射した。発砲時の甲の姿勢は、立っていたか座っていたかは判断できないが、右上腕を体側に沿わせた状態からやや右上に挙げた状態であり、右上腕を貫通する弾道は、身体の水平方向よりわずかに右上やや前方から左下やや後方に向かっていることが認められ、これに最も整合する甲の姿勢は、司法警察員作成の昭和五九年五月四日付け実況見分調書添付の写真で示される甲の姿勢、すなわち、甲が今までよりも大きく運転席ドアを押し開けて車外に出る姿勢を示し、運転席ドアと車体の間から被告人の胸目掛けて右手に持ったナイフを突き出したと解するのが相当であり、甲の下半身、殊に右足が路上に踏み出されていたか否かについては、本件証拠上は確定しがたい。」と認定している。

所論は、甲は本件発砲時には未だ六号車の運転席に座しており、運転席ドアを大きく開いて上半身を車外に出すという姿勢には至っていなかったから、原判決には判決に影響を及ぼす事実の誤認があるというのである。

そこで、所論にかんがみ検討を加える。

解剖の結果によれば、本件銃弾は、甲の右上腕が推定約四五度ほど、右上に挙げた姿勢の時に、体に対して右上やや前から左下やや後ろに向かって発射されたものと考えられることが認められる。このことから、直ちに、被告人と甲の位置関係を特定することはできないが、少なくとも、甲の右手が上に挙がっていたこと、すなわち、被告人に対して、ナイフを突き出していたことは推認することができる。

次に、Aは、原審において、「六号車は、本件現場に停車する直前ころ、運転席ドアが半ドアの状態でわずかに開いたが、被告人は六号車のセンターピラー付近に立って、右膝でドアを押したり離れたりしていたところ、ブスッという鈍い感じの音がして、被告人がけん銃を発射したと分かった。被告人が六号車に駆け寄ってから本件発砲までの間において、六号車の運転席のドアが半分以上開いたり、甲の身体、とくにその頭や上半身が車外に出ている状態を見たことはない。」旨供述し、また、Bも、原審において、Aと同様の供述をしているが、本件発砲の直前の状況については明確に目撃しているとは言い難い。

また、原判決が指摘するように、本件発砲後の車内における甲の姿勢から、直ちに、本件発砲当時の甲の姿勢を推認することはできない。

さらに、検察官は、当審において、仮想甲を仮想六号車に座らせたうえ、四つの場面を想定して、体内銃創線と銃口延長線が一致する状況が再現できるかどうかを実験した結果を見分、記録した検証調書(実質は実況見分調書である)を提出し、本件発砲当時甲が運転席に座した状況にあった旨主張している。しかしながら、被告人及び甲が共に激しく動いている状態で、体内銃創線を主たる根拠として、本件発砲当時の甲の姿勢を特定することはできない、

このように、関係証拠を総合しても、本件発砲当時の甲の姿勢を正確に認定することはできないが、甲は、六号車で逃走を図ったものの、警察官が撃った弾丸がタイヤに命中し、それ以上の走行が不能となったため、六号車から降りてさらに逃走しようとして、被告人にナイフを突き出していたものと認められるから、所論のように六号車内の運転席に座した状態であったとは到底考えられないところである。

そして、AやBの供述によれば、被告人は、甲がナイフを繰り出すので、その都度、飛びのいたり前進したりを繰り返しながら、右足でドアを押さえ付けたりしていたことが認められること、甲は車外に逃走しようとしていたと推認できること、本件発砲時における甲の右腕の角度などを併せ考慮すると、甲がドアと車体の間からナイフを繰り出して一段と激しく攻撃してきた時に、甲の右腕の肘関節部分に狙いを付け、銃口の延長線を運転席床に向けて弾丸一発を発射したという被告人の供述を否定することはできないというべきである。

そうすると、結局、甲が運転席ドアを押し開けて車外に出る姿勢を示し、運転席ドアと車体の間から被告人の胸目掛けて右手に持ったナイフを突き出した時に、本件発砲行為がなされたという点において、原判決の認定は相当である。論旨は理由がない。

第二  法令の適用の誤りの論旨について

所論は、要するに、原判決は、被告人の本件発砲行為が警職法七条所定の正当な職務行為として、刑法三五条により違法性が阻却されるとしたが、被告人の行為は、警職法七条に規定する要件を欠いているから、原判決には、判決に影響を及ぼす法令の適用の誤りがあるというのである。

一  そこで、検討するに、関係証拠によれば、被告人が本件発砲現場に至るまでの経過については、原判決が「本件現場に至るまでの状況」の項において詳細に認定しているところであり、これを左右するに足りる証拠はない。

すなわち、

1  甲は、別れた妻である乙に対し、それまでに何度も暴行を加えるなどしていたところ、昭和五九年四月一八日と同月二〇日にも、使用していた普通乗用自動車(以下、「甲車」という。)で乙を久留米市内の筑後川河川敷に連れて行き、同女に殴る、蹴るの暴行を加え、二週間の絶対安静と即時入院を要する右腎外傷等の傷害を負わせたこと。

2  同日午後五時三〇分ころ、乙の父親らが久留米警察署防犯課を訪れ、右の事情を説明したうえ、甲が刃物を所持し、覚せい剤を使用している疑いもあること、このままでは乙の生命も危惧されるとして、同女の保護願いを出したこと。

3  右保護願いを受けて、同署防犯課長古賀英雄警部の指示で坂本勝俊巡査部長ら三名の私服警察官が乙方に赴き、付近に駐車中の甲車を発見して職務質問をしようとしたところ、甲が急発進をして逃走したので、その旨古賀警部に電話で報告し、甲の形相が異常に見えたので、警察機動捜査隊の出勤を依頼するよう要請し、古賀警部は、同日午後六時ころ、機動捜査隊筑後地区班に経緯を説明して出勤を要請するとともに久留米署に待機中の警ら用パトカーにも出動を求めたこと。

4  被告人は、本件当時、福岡県巡査部長として、機動捜査隊筑後地区班に属し、筑後地区の凶悪犯罪等の重要事件及び特殊事件の初動捜査等に従事していたが、右出動要請を受け、原憲次巡査とともに捜査用無線自動車(福岡四六一号車)で出発し、そのころ、機動捜査隊筑後地区班の田中喜代敬巡査及び宮内孝明巡査部長の乗車した捜査用無線車両(福岡四六二号車)及び久留米署外勤課勤務の村上好範巡査部長及び倉谷欣作巡査部長の乗車したパトカーも同署を出発したこと。

5  甲が乙の妹の丙方に立ち寄ったとの情報を得て、被告人ら右六名の警察官が丙方付近で張り込みをしていたところ、甲が丙方から出て来たので、警察手帳を示しながら傷害容疑により任意同行を求めたところ、甲が突然「警察が何か、貴様ぶっ殺すぞ。」と叫びながら、いきなりナイフで宮内巡査部長に切り付け、同人は身体を捻ってよけたが右額部に約五日間の安静加療を要する切創を受けたこと。

6  これを現認した被告人らは、甲を殺人未遂又は傷害、公務執行妨害等の現行犯人として逮捕しようとしたが、甲は、被告人らにナイフを突き出すなどの攻撃を加えて、甲車で逃走しようとしたこと、しかし、警察官に阻止されたため、甲は、付近にいた倉谷、村上巡査部長らに切りかかりながら丙方に逃げ込み、同人方浴室において、警杖や警棒を使って逮捕しようとした警察官らに対しナイフを振るって応戦し、一旦玄関から外に出てパトカーに乗り込み逃げようとしたが、キーがなかったので被告人らの制止をはねのけて再び丙方に逃げ込み、箪笥などを動かしてバリケードを作って警察官の接近を拒みながら、浴室の窓枠を外して屋外に飛び出して公道に逃走したこと。

7  甲は、折から自転車に乗って通り掛かったCに対し、ナイフを面前に突き付けて「殺すぞ。」などと叫びながら、自転車を奪おうとしたが、駆け付けてきた警察官から警杖で殴打されるなどされたため断念し、警察官らに対しナイフを振るいながら、付近の旭タクシー株式会社営業所車庫に逃げ込み、駐車中の六号車の傍らにいた同車の運転手Dに「退け退け。」と怒鳴りながらナイフを突き付けて同車の運転席に乗り込んだこと。

8  警察官らは、運転席ドアから警杖を差し込んで甲の顔面や胸部を五、六回突いたり、特殊警棒で甲の左手を叩くなどしたが、甲は、まったく怯むことなく、ナイフを振るって抵抗し、さらに、エンジンを激しく噴かせて発進しようとしたので、宮内巡査部長は、甲をこの場で制圧逮捕するために所携のけん銃を構えて、「止まれ、止まらんと撃つぞ。」と大声で数回警告したが、甲がこれに応じる気配も見せなかったため、同車の左前輪を狙って合計三発撃ったものの、甲は、発砲を意に介することなく、主要地方道久留米・柳川線を本町四丁目交差点方面に向けて猛スピードで逃走したこと。

9  被告人は、甲の乗った六号車が本町四丁目交差点を左折したのを確認したうえで、道路脇に駐車していた二号車の運転手のAに六号車の追跡を頼み、自らはその助手席に乗車し、時速七、八〇キロメートルで六号車を追跡したが、この間、被告人は、追跡中タクシー無線で甲の乗った六号車を追跡中であること及び同車は西鉄久留米駅方向に逃走中であることを三回繰り返したが、応答はなく、右通報が受信されたかどうかは確認できなかったこと。

10  被告人は、警察官が六人がかりでも甲を逮捕できなかったばかりか、宮内巡査部長が三発もけん銃を発射したのに甲に怯む様子がなかったことから、同人を一人で追って行くと、けん銃の使用を必要とする事態が発生するかもしれないと予想し、必要に応じて即座にけん銃を取り出せるように備えたところ、六号車は、高速で本町四丁目交差点、続いて小頭町派出所前交差点をそれぞれ左折し、更に小頭町交差点で赤信号を無視して反対車線にはみ出し、信号停車中の二台の車両を追い越して左折し、県道一丁田・久留米停車場線を本町交差点方向に逃走したうえ、前記車庫から約六七〇メートル走行した同市小頭町所在の久留米中央病院玄関前辺りの車道上でスリップしたように左に滑りながら歩道の縁石すれすれの位置に停車したこと。

11  右停車の原因は宮内巡査部長の射撃によって左前輪タイヤがパンクしたためと思われるが、被告人はそうとは考えず、甲が車外への逃走を図って停車したものと即断し、Aに二号車を六号車の後方中央線寄りに止めるよう指示すると共に応援の連絡を依頼して、六号車の五、六メートル後方の地点で停車直前の二号車から降り、六号車に駆け寄ったこと、Aは、二号車を六号車の後方二メートル位の中央線寄りの地点に停車させると共に、無線で旭タクシー本社無線室に六号車が中央病院前で止まった旨連絡したが、無線の状態が悪く、連絡が通じたかどうかはっきり判らなかったこと。

12  一方、宮内巡査部長は、甲が六号車で本町四丁目交差点を左折し、被告人が二号車で追跡して行ったのを見てから、田中巡査の運転する福岡四六二号車で追跡を開始したが、六号車は前記射撃によりパンクして余り遠くには逃げられないものと判断し、時速五、六〇キロメートルで近辺を探索していたこと、また、原巡査は、午後六時一〇分過ぎころ、丙方付近に停車していた福岡四六一号車の無線で、甲が旭タクシーを強奪して逃走したこと及び応援要請を福岡県警察本部と久留米警察署の司令室及び無線搭載の各捜査車両に連絡した後、福岡四六一号車に一人で乗って甲の行方を探索走行していたこと、一方、深江警部補は、原巡査の通報を久留米警察署で受信し、緊急事態が発生したと感じて午後六時一五分ころ、吉田卓広巡査運転の機動鑑識車両(福岡四一七号車)に乗って出動したが、行くべき現場が判らないまま、とりあえず丙方方面へ向かったこと。

13  甲が停車した中央病院玄関前は、国道二六四号線と主要地方道久留米・柳川線が分岐した本町交差点の五叉路から南東方へ走る県道一丁田・久留米停車場線上で、久留米市のほぼ中心に位置しており、付近には同病院の他、商店、民家が密集する、日頃交通頻繁な場所で歩、車道が区別され、車道は片側二車線となっていて、当時、歩道には通行人もおり、車道には間断なく車両の通行があったこと。

以上の事実を認めることができる。

二  次に、関係証拠によれば、本件発砲直前の状況については、次のような状況であったものと認められる。

すなわち、

1  被告人は、特殊警棒を二号車助手席に置いたまま、六号車の運転席ドア近くに駆け寄ったところ、甲が「貴様ぶっ殺すぞ。」と怒鳴りながら、右手に持ったナイフを全開した窓越しに被告人の胸部めがけて突き出したので、被告人は、少し退いてこれを避けたこと。

2  被告人は、交通頻繁な現場の状況、それまでの経緯及び甲の行動からして、甲が車外に逃走すると、一般市民にまで危害を加える蓋然性が極めて高いと考え、所携のけん銃を示しながら、甲のナイフを避ける一方、開きかけたドアを右足で押し返したりしたが、甲が相変わらず車内からドアを開けようとして押しながら、窓越しにナイフを繰り出すので、被告人は、その都度、飛びのいたり前進したりを繰り返していたこと。

3  被告人は、未だ応援の到着もなく、このままでは、甲の逃走を防ぐことは困難と考え、甲に対し、「抵抗するな。抵抗すると撃つぞ。刃物を捨てろ。」と数回警告したが、甲がそれでも全く怯むことなく、車外への逃走を図ろうとして、押し開けたドアと車体の間からナイフを繰り出して攻撃してきたので、被告人は、右手にけん銃を構えたまま甲の動きに応じて、後退、前進を何度か繰り返したこと。

4  被告人は、甲が押し開けたドアと車体の間からナイフを繰り出して更に一段と激しく攻撃してきたので、このままでは自分が負傷して甲が逃走し、第三者にいかなる危害を加えるかもしれず、これを防止し、甲を制圧逮捕するには、同人の右腕を狙って発砲するしか方法はないと考え、三〇センチメートル位の距離から被告人の胸元に突き出された甲の右腕の肘関節部分に狙いを付け、銃口の延長線を運転席床に向けて弾丸一発を発射したこと。

以上の事実を認めることができる。

三  このような事実関係の下において、被告人の本件発砲行為の正当性について検討を加える。

警察官には、その職責上けん銃の携帯、使用が許されているが、けん銃の武器としての危険性にかんがみ、安易な使用が許されないのは当然であり、その使用は、武器使用の要件を定めた警職法七条及びその具体的な使用及び取扱方法を定めた「警察官けん銃警棒等使用および取扱い規範」に適合するのみならず、当該警察権行使の目的のため必要最小限度の手段と認められる場合に限り、正当な職務行為として刑法三五条により違法性が阻却されるものと解すべきことは原判決が説示するとおりである。

警職法七条によれば、「警察官は、犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合においては、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる。」とされ、「死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁こにあたる兇悪な罪を現に犯し、若しくは既に犯したと疑うに足りる充分な理由のある者がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。」は、人に危害を加えることも止むを得ないものとされている。

そこで、本件発砲行為が警職法七条の要件に該当するかどうか検討を加える。

1  まず、被告人が、警察官として、被疑者である甲の抵抗及び逃走を防ぎ、同人を逮捕するために本件発砲行為をしたことは明らかで疑いを入れる余地がない。

2  甲が警職法七条にいう凶悪犯人に該当するかどうかについて

甲は、丙方前路上で、任意同行を求めた宮内巡査部長に対して、ナイフでその頭部を切り付ける殺人未遂又は傷害及び公務執行妨害の各罪を犯し、次に、現行犯人として逮捕しようとした警察官らに対して、ナイフを振るって抵抗して更に公務執行妨害の罪を犯し、また、逃走するにあたり、自転車に乗って通行中のCの胸にナイフを突き付けてその自転車を強奪しようとした強盗未遂罪を犯したうえ、旭タクシー車庫でも逃走のためタクシー運転手Dや警察官に対し、ナイフを振るってタクシー一台を強取する強盗罪を犯したものであって、甲は、「死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁こ」にあたる凶悪な罪の現行犯人であったものというべきである。

所論は、客体の要件としては、単に形式的に所定の法定刑以上の罪にあたる行為をなしたものというだけでは足りず、実質的にも、危害発生を伴うけん銃の使用が是認される程度に凶悪な犯罪に該当する場合であることを要するところ、本件における甲の各行為は、すべて警察官による制圧、逮捕行為から免れるためのものであり、一般人に対して、その生命、身体に重大な危害を加えようとしたこともないから、凶悪犯人に該当しないというのである。

確かに、所定の法定刑以上の罪にあたる犯罪を犯したからといって、直ちに警職法七条にいう凶悪犯人に該当するものではないことは所論のとおりであるが、甲は、ナイフを持って警察官のみならず、一般市民であるCやDにもナイフを突き付けて脅し、自転車やタクシーを強奪したものであるから、甲が同条にいう凶悪犯人に該当することは明らかである。

3  被告人の本件発砲が甲の逃走を防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと被告人において信ずるに足りる相当な理由があったかどうかについて

被告人は、警察官の職務の執行に対して抵抗し自動車で逃走する甲を最終的には一人で追跡していたものであること、途中で無線連絡を試みたが応答はなく、結局、本件現場で、直ちに応援が来るという確実な見込みもないまま甲と対峙し、逃走を防ぎ逮捕するという職務の遂行を余儀なくされていたこと、甲がドアを開けて外に出ようとする姿勢を示したこと、ここで甲を車外に出して逃亡を許してしまえば一般市民への被害が拡大すると予想したこと、このような事実関係の下において、一般市民への危険を防ぎ、逮捕行為を完遂するためには、より威嚇力、攻撃力の強いけん銃を使用するほか方法がないと被告人が判断したことは相当と認められる。

所論は、けん銃使用が許容されるのは、その暇のない場合を除き、説得、警告若しくは他の実力行使の手段を用い、又は、とりあえずその場を離脱して他の応援を求めるなど、他に尽くすべき手段があればそれを尽くした後に初めて許されるべきであり、たとえ、甲が車外に出ようとする態勢をとっていたとしても、ドアを足で押さえるなどして車外に逃走するのを防ぐことは可能であったし、被告人は甲より格闘能力が圧倒的に優っており、けん銃を使用しなくても逮捕できたはずであり、また、本件現場が他の警察官らも居合わせた旭タクシー車庫から七〇〇メートル足らずのところにあり、応援が来る可能性は低くはなかったのであるから、けん銃を発射する以外に方法がないと被告人において信ずるに足りる相当な理由はなかったというのである。

そこで、検討するに、他に尽くすべき手段を尽くしたうえでけん銃を使用すべきであることは所論のとおりであるが、甲は六号車の窓からナイフを頻繁に突き出していたものであるから、単に足でドアを押さえた程度で逃走を防ぐことは不可能であり、甲の丙方や旭タクシー車庫における反抗の態様や程度を考慮すると、素手の被告人が単独で、ナイフを持った甲を逮捕できるとは到底考えられないところであり、また、後続の警察官らは甲の逃走先を知ることもなく、その行方を探していたもので、結果的に発砲後間もなく本件現場に行き着いたからといって、直ちに当時の被告人の立場において、来援の可能性はあったものと判断すべきであるということはできない。なお、原判決が指摘するように、最も早く到着した深江警部補でも発砲後五分程度経っており、それまで発砲せずにいても、甲を取り逃がさなかったという保証はない。そうすると、本件はまさに、他の手段をとるべき暇のない場合に該当するというべきである。

次に、所論は、被告人はまず、けん銃を示して警告し、かつ威嚇射撃を行ったのちでなければ相手の身体に向けて発砲してはならないというのである。

そこで検討するに、被告人が発砲前に、甲にけん銃を示して警告を発したが、その場で威嚇射撃をしなかったことは前記のとおりである。しかし、前記規範は、「けん銃を撃とうとするときは、状況が急迫であって、特に警告するいとまのないときを除き、あらかじめけん銃を撃つことを相手に警告しなければならない。」(同規範一〇条)と規定するが、警告のほか、特に威嚇射撃を要求してはおらず、口頭の警告だけではなく、更に威嚇射撃まで必ずしなければならないという法令上の根拠はないというべきである。特に、本件のような緊迫した状況下において、市街地において威嚇射撃することは、必ずしも容易でなく、また、安全ともいえない。本件では、甲がドアを開けて車外に出ようとする姿勢を示しており、これを阻止するために甲の近くから離れることができない状況下の被告人に対して、甲はほとんど突き刺さんばかりの距離にナイフを突き出してきているのであるから、安全な方法を確認して威嚇射撃をするだけの余裕があったとは認め難い。しかも、甲に対しては既に宮内巡査部長が旭タクシー車庫で三発も六号車の前輪に目掛けて発砲しており、警察官の発砲を知りながら甲はこれに怯む様子もなく、タクシーを強奪して逃走しているのであって、このような状況下において、被告人が口頭の警告をしたうえ、重ねて威嚇射撃をしなかったからといって、その発砲行為が相当性を欠くことにはならない。

また、所論は、仮に甲の身体に向けて撃つとしても、下腿部を狙うべきであり、被告人が甲の右腕を狙って撃ったのは相当性を欠くというのである。

しかし、本件のように目標が激しく動いている状況で狙撃する以上、下腿部を撃つ方が肘を撃つよりも生命への危険が少なく、かつ容易であるとは一概に断定できないし、ナイフを持った腕を狙って発射する方が、甲の凶器を取り上げて制圧逮捕するという目的にも合致しているとした原判決の判断は相当というべきである。

このように、被告人は、甲を逮捕するため、ナイフを所持していた右腕を狙って発砲したものであり、胸部や腹部などの人体の枢要部を狙ったものではないのであって、たまたま、甲が体勢を移動したため弾丸が胸部に至ったものと認められ、この点において、甲にとって不運であったというべきであるが、それだからといって、被告人の本件発砲行為が違法性を帯びるということはできない。

その他、所論は、本件発砲行為が違法である旨主張し、原判決を論難するが、被告人に不能を強いるものであり、到底採用のかぎりでない。

以上によれば、甲は、旭タクシー車庫で宮内巡査部長から三発の射撃を受けながら、何ら怯むことなく、六号車を強奪して逃走しており、さらに、本件現場で、被告人がけん銃を示して、数回警告を発したが、なお、抵抗をやめず、むしろ、却って逆上したように激しくナイフを突き出してきたものであって、被告人が甲のナイフを取り上げ、逮捕するために、甲の右腕を狙撃するしかないと判断したことは、合理的な判断であったものというべきである。

4  そうすると、被告人の本件発砲行為は、警職法七条にいう凶悪犯人である甲が、警察官の職務の執行に抵抗し、逃亡しようとしたので、市民に対する危険性もあって、これを防ぎ、逮捕するための必要かつ相当な職務行為と認められるので、警職法七条の要件を満たす適法な武器使用と認められ、刑法三五条に定める正当な職務行為として違法性が阻却されるから、原判決の判断に誤りはない。論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 永松昭次郎 裁判官 徳嶺弦良 裁判官 長谷川憲一)

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